《拾弐》アダシノ - 12.Adashino -

空虚に待つ/生命の力

 『アダシノ』は平安時代からの風葬の地として知られる京の化野(あだしの)がモデル。右端の空には、四神の青龍が浮かび上がる。『拾六・ミカヅチ』に現れた青天の霹靂的な空とも交差する。巨大なドクロに腰掛ける童子の不安げな表情。放心とも取れる童子の顔は、親を亡くしたばかりであることを想像させる。ドクロに止まった蝶はシンボリズム的には魂。亡き親の守護を感じさせる。故事『胡蝶の夢』のように、このカードには、この世の儚さと無常観が溢れている。

 

 後ろ盾、支えを無くしたこの子の心に浮かぶ想いは何であろうか?寂しさや情けなさ、孤独。どうしていいかわからないという放心状態。しかしこのカードにおいては、この放心、頼りのなさの中にこそ、変容の秘密が隠されている。空虚の中にこそ発見しうるもの。すべてが奪われたように見えるかもしれない。しかし、彼はやがて気づくだろう。それでも自らが「ここ」に在ることを。生命は微動だにしない。彼の成熟をのみ待つ。

 

 

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《拾壱》トリイ - 11.Torii -

新たな可能性への扉

 鳥居は神域との結界。鳥居をくぐり、都(宮)に出(いで=ルビ)る。まさに今、入洛の時。憧れの「世界」への扉を開けようとしている。紅い鳳凰は、新たな世界への招きの印。具現化する前の「神域」であった「こちら」と、現実世界である「あちら」への架け橋的存在である。龍または白蛇の尾は自らの一部として描かれており、これは龍と鳳凰との出会いのシーンでもある。ついに「待ち人来たる」を表している。

 

 手には稲穂。命のシンボル。日本神話にも神が稲穂を握り降臨する姿が描かれるように、それは、この大地を拓き、この大地で生きることを象徴している。また「手渡された」稲穂は、日本の民話『わらしべ長者』を連想させる。藁をきっかけに、さまざまに変化を遂げながら新しい世界を手に入れていく、その始まりの時を告げている。

 

 

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《拾》コノハナ - 10.Konohana -

いつかの優しさが報われる

 

 西洋タロットの『運命の輪』との対応を示す大きな車輪が特徴。虎は五百歳を迎えると白虎になるとされ、成熟を表し知恵と強さを備え、身籠っている女性を強く守っている。また白虎は月の女神の化身ともいわれ、もう充分に月満ちた臨月の女性の傍で、月の満ち欠けを司り、まさに分娩の時を共に迎えようとしているのだ。

 

 木花咲耶姫は見目麗しく愛された女神として登場する。めでたさを寿くが如くの一面の桜。カード全体が「コノハナ」のエネルギーに満ち、この後の好転を暗示する。彼女が祀られた神社は「子宝」と「安産」というご利益が謳われるように、運命は、あなたを通じて何かを生み出そうとしている。その好機は「突如やってきた」ように感じるかもしれない。「運命的に訪れた」ようにも思えるかもしれない。しかし、月満ちれば花は咲き、月満ちれば赤子が産まれるのは必定で、この幸運はかつてあなたが世界を愛したことの結実である。

 

 

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《九》イワナガ - 9.Iwanaga -

孤独を知り、美と知恵を手に入れる

 磐長姫(イワナガヒメ)は、天孫の一神、瓊々杵命(ニニギノミコト)が見初めた木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)の姉神。父神の大山祇命(オオヤマツミノミコト)は、妹と共に彼の元に嫁がせる。しかし、瓊々杵命は彼女を父神の元に返してしまうのである。父神は、磐長姫も娶れば風雪に耐える岩のように彼の命は安泰であったはずなのに、短い命で終わるだろうと嘆く。現在の価値観では、姉を引き出物として送ることなど当然考えられないが、シンボリズムで捉えると、このエピソードに偉大な秘儀を見ることができる。

 

 幸運のコノハナ、勝利のヤマトでは語られなかった──《六》ムスビに描かれた「退けられた」方の女性性が、このイワナガで浮かび上がる。彼女は男性に拒絶され、一体であったはずの妹とも切り離され孤独である。心は自然と内省に向かう。静けさと共にある磐長姫は、孤独を知った者の真の美しさと聡明さを湛えている。タマの霊力はそこに宿る。勝ち取るべき女性の愛とは、イワナガの愛に他ならず、その時、人生に変容の奇跡がもたらされる。

 

 

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《八》エンマ - 8.Enma -

忘却という偉大な力と秩序

 

 このカードのモデルは閻魔大王、あるいは大王の補佐官として裁きを手伝ったとされる小野篁(おののたかむら)である。毎夜、井戸から地獄に下り大王の仕事をし、朝には別の井戸から地上に戻ったという冥府渡りの伝説を残す人物。剣の宮のキーパーソン。中央に置かれた天秤は人生を計る彼の道具。公平さ、正しさを冷静に見抜く中立の眼差しの象徴。天秤と同じく公正な裁きを暗喩する閻魔様の尺は、ここでは剣の役割をも同時に表現しているのだろう。尺≒剣を手に、剣の宮に入ることがここでのイニシエーション。

 

 この世での行いを、あの世において正すことで、世界に秩序をもたらす閻魔大王。さらに、地上を往来する篁との連携がエンマの真の意味。それは、人の心に溜まり念となった過去を人が眠っている間にすっぱり切り捨てさせ、新しい朝を迎えさせる力。西洋タロットの「力」に位置するエンマは、単に裁く力というだけではなく、私たちが過去を「忘れる」ことの下に潜む、目には見えない偉大な働きをシンボライズしているのだ。

 

 

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《七》ヤマト - 7.Musubi -

自らの意志で荒波に打ち克つ

 

 ヤマトは日本国の古称「大和」「倭」の呼び名である。このカードのモデルは「日本武尊(ヤマトタケルノミコト)」で神話上の英雄として有名。光る剣を右手に、左手に兎を抱え守る。兎は日本女性のシンボル。守られていることに満たされた兎の表情と、雄々しいヤマトの姿は、荒波の中にあっても、すでに勝算があることを感じさせる。「ますらお」とでも言うべきか。勇ましさと勝利と出世の象徴。

 

 龍の変容前の姿として「登竜門」の語源で知られる鯉は、大きな飛躍と成長を暗示。胸にある八咫烏の意匠はリーダーであることを意味する。西洋タロットの「戦車」のカードに相当。波に見え隠れしている車輪は戦車の車輪でもあり、『拾・コノハナ』の運命の「輪」とのつながりも表す。幸運の『コノハナ』は、ヤマトの覚悟に裏付けられている。まさに今、決断の時。ここでリスクを負う覚悟なければ、コノハナの幸運にはつながらない。

 

 

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《六》ムスビ - 6.Musubi -

新しい関係性をもたらす力

 

 《六》ムスビは西洋タロットの「恋人たち」。縁を「結ぶ」のムスビ。日本神話の最初、国を造り出した神々がタカミムスビやカミムスビと名付けられているように、神話におけるムスビとは「産霊(ムスヒ)」のことで、天地万物を生み出す霊妙な力とされる。

 

 かつて「恋人」のカードには、このムスビのカードと同じく、一人の若い男性に二人の女性が描かれ、女性の美醜や善悪を対比させていたとされる。ムスビにおいてもまた、幸せな男女の背後に般若の女性が描かれる。嫉妬と怒りを表す般若は、必ずしも恋敵とは限らない。母親や姉妹などの、彼の縁の女性を『退けられてしまったもの』として、二人の影としてつきまとう負の側面を担う。それでも、ムスビの力は二人に作用する。新しい関係性をもたらそうと働く。何かを生み出すために。

 

 

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《伍》イナリ - 5.Inari -

礎となる家族愛/調和を学ぶ

稲荷神は「お稲荷さん」と呼ばれ親しまれ、日本中に膨大に点在する稲荷社の主祭神。白狐の姿で表されることからお狐さんとも。稲の神、農業の神として知られ、実りの象徴である。《伍》イナリは、稲穂の宮の鍵でありキーパーソン。


西洋タロットの司祭長あるいは教皇に相当するこのカードは、安倍晴明がモデル。いわずと知れた日本史上最も有名な陰陽師で、彼の母親は葛の葉と呼ばれる伝説の白狐。このカードの安倍晴明は半妖の姿で描かれている。父性的な厳然とした力で導き、陰陽のバランスを安定させる者。まずは夫婦、家族などの与えられている最も身近なグラウンドの安定を説く。強い信頼関係によって固められることが、このあと訪れる変容の基礎・基盤として揺るがないことを教える。

 

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《四》イザナギ - 4.Izanagi -

社会を切り拓く父性

 イザナミの稲穂は米として食することで、体と内面を養うことを意味するが、イザナギにとっての稲穂とは、社会を切り開く手段を象徴している。この2枚のカードが一対となり、日本人としてのアイデンティティを象徴する母性と父性を表す。

 

 イザナミが本音の交流を求めるのに対して、イザナギは「建て前」によって交流する。建て前というのは、ネガティブな意味ばかりではなく、社会で生きるために必要な在り方でもあり、洗練されればリーダーシップの能力ともなる。本音に偏れば、ともすれば無秩序で無節操に陥りかねないものを、父性によって秩序を維持する。そこには厳しさがあるが、何かを社会的に表わすときには、彼の厳然とした力強さが真価を発揮する。イザナミの内的な深まりと、イザナギの外的な広がりで、物語は展開するのだ。

 

 

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《参》イザナミ - 3.Izanami -

本音による交流と発展

《参》イザナギ、《四》イザナミとも「稲穂」を手にしていて、2枚合わせて「ほは こころ」という一文が現れる。拾壱のトリイで手渡された稲穂。日本人にとって米は主食であり、実りのシンボル。まさに「穂は心」である。

 

 イザナミは日本神話上、母性の権化と言えよう。それまでの天地創造の神々は、まだはっきりとした性差が付与されていないが、イザナギとイザナミにより、壮大な男女の愛憎を交えた物語が立ち上がる。イザナミは、夫を愛し世話を焼き多くの神を生む、偉大で優しい顔を見せる反面、約束を破り逃げ出した夫を許さず追い詰める激しい側面を露わにし、母性の両面を突きつける。ギリシャ神話のゼウスの妻の一人ヘラを連想させる。黄泉の国へ旅立ったことは、陰陽の「陰」を象徴。直観的であり、自らの暗部に触れていくことによる発見を語る。嘘のない「本音」の交流。

 

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